マロウは後悔した。
この状況は実にまずい。避けたかった展開の上位に入る。
今置かれている状況、それは、笑樂に持ち物を奪われ見下ろされている、というものだった。ちなみにこちらは尻餅をついている。
土壇場で笑樂が掴んだもの。それはマロウが肩に提げた3Dプリンターの肩紐であった。
ステルス機能により目ではその姿形を捉えることはできないのだが、触れることならばできる。
それが捕まった。
すぐさま肩から捨て、プリンターのことは諦めて逃げることもできたが、それができるほどマロウはその機械を割り切って見られなかった。
通称サンディと呼ばれる3Dプリンターは、マロウが機械技師として独り立ちしたその日に祖父からプレゼントされたものである。
新しいモデルに乗り換えることもできたし、祖父もそうしてくれて構わないと言っていたが、マロウはこれが気に入っていた。壊れたら直し、古くなったら新機能をダウンロードして、継ぎ足し継ぎ足し使い続けてきた。
もうすっかり愛着が湧いていたのだ。
だから、見捨てられなかったその行動を後悔してはいない。
後悔しているのは、自分の考えの甘さと気の緩みだ。
作戦が成功したから動作が遅れた。まさか起き上がるとは思わなかった、だなんて。
加入十年目が聞いて呆れる。
とはいえ、いくら後悔したって反省したって、挽回するチャンスを得られなければ意味がない。
さてさて、相手に正体が割れた今、これをどう打開する?
「あーあ、俺も馬鹿っすわ。よく考えたら、避難させたはずのあんたがここにいるのはあまりにも不自然だ」
笑樂はため息を吐きながら、手に持ったプリンターをぺたぺたと触った。軽いのに冷たくつるりとした表面。なるほど、トージョウにはない素材だ。
「まあでも、あんたがあいつらの仲間だってんなら納得っすね」
最後に一度ぽんと叩くと、笑樂はそれをずいとマロウの前に突き出した。
予想だにしなかった行動に、マロウは何度も瞬きしながらプリンターと笑樂の顔を交互に見やった。
罠か?と訝って受け取ろうとしないマロウ。それに痺れを切らしたのか、笑樂は「返す」と今度ははっきりと口にした。それがダメ押しとなった。
「いいの?敵に武器を渡すような真似して」
「それ、あんたにとって大事な物なんすよね?だから置いて逃げなかった。そうっすよね?」
マロウは何と答えて良いものか考えあぐねた。
そんな理由で敵に情けをかけるのか?あまりにも愚直が過ぎる。
黙り込んでしまったマロウの様子に、返事をする気がないのだと判断した笑樂は言葉を続けた。
「俺らにとっては、それがここにある建物とか文化財とか、そういうのに当たるんすよね。むかーしむかしから大切にしてきた。人によってはたくさんの思い出や思い入れが詰まってる。」
笑樂はそこで一度言葉を区切ると、大きく息を吸い込んだ。
「だから、壊されるとすっげー腹立つし、悲しいんすよ」
そう言ってある一か所に注がれた遠くを見るような彼の眼差しを、マロウもそっと追う。
そこには過激派の連中によって破壊され、見るも無残な瓦礫となり果てたトージョウの建築物があった。
「あんたならその気持ちを理解してくれると思った。俺さ、あいつらと同じになりたくないんだ」
だから、返すと言うのか。
彼の言いたいことも、気持ちも、理解できる。時が時、場合が場合でなければ、立派な主張だ。
だが、今の状況を慮れば、一歩間違えれば致命的な浅はかさである。それにより不利になるのは彼自身。それを分かっているのだろうか。
ふうと一つ息を吐いて、彼からプリンターを受け取った。
どこの組織にもいるものだ。真っ直ぐで、救いようのないお人好しというのは。
マロウはくすりと小さく笑うと、手の甲でぐいっと唇の紅を拭った。
「このまま騙し続けるのはフェアじゃないよね。僕も本気でいかせてもらう」
瞬時に変装を解いたマロウは、詰襟のインナーにジャンパーという自国での仕事着姿で笑樂を捉えた。
このまま女だと思い込まれていれば、彼の性格ならば攻撃の手が緩むことも考えられた。上手くゆけば逃がしてくれたかもしれない。
だが、マロウ自身がそれを許せなかった。結局は、マロウもまた非情になり切れない愚か者であったのだ。
彼が一人の政府軍として真摯な行動を示したのならば、こちらもそれなりの誠意でもって応えるのが道理だ。
「それがあんたの本来の姿、ってわけっすか」
笑樂は警戒しつつも、けれどどこか楽しげにニヤリと笑った。
「そういうこと」
対するマロウの顔つきも、この窮地を楽しむ色が濃く表れているようだった。
「言っときますけど、そいつは返しても、『いっしゅ』のあんたを見逃す気はないんで」
「ああ、もとよりそのつもりだよ。男同士、正々堂々と頼むよ」
「覚悟!」と両者一斉に地を蹴る、と思われたのだが、
「…………え?あんた、女っすよね?」
笑樂の一言に、マロウは盛大に出鼻を挫かれることとなった。
(どう見たって男じゃないかなあ!!)
そんなままならない憤った気持ちを、己の右拳に込めて放つ。
「くっ。あんたほんとに女っすか?!」
(だから、疑うならその疑った自分を信じようよ!!)
口でも何度も否定を試みているのだが、言えば言うほど彼の中で信憑性が欠けていくのか、右から左に受け流されてしまう。もはや諦めの境地だ。
不幸中の幸いは、彼の拳を見切ってガードできていることと、こちらが繰り出す一発一発も彼を揺さぶることができていること、だろうか。とはいえ、かろうじて、のレベルである。
笑樂とマロウがジャブの打ち合いを始めて数分。
序盤はマロウが優勢であった。
比較的得意とする素手のやり合いに持ち込めたこと。こちらの実力を向こうは知らないこと。女だと思われ相手が本気を出せないこと。そして何より、誤解が晴れないことによるマロウの怒り。
これらが要因となって、半ば勢いでゴリ押しできていた。
しかしだんだんと、戦いにおける本来の実力の差が浮き彫りになってゆく。
放ったパンチは余裕でかわされているし、命中したとしても向こうはコンマ数秒で立ち直っている。
笑樂はこちらに合わせて武器を使用してこなかった。素手には素手で。それが礼儀だと言う。
その点においてもバカ正直で有り難いと感謝したものだが、ハンデをもらってもこれだ。ニンジャ恐すぎ。
「そろそろ、観念したほうがいいっすよ!っと!」
「がはっ」
マロウの背後に回り込み、振り上げた笑樂の肘鉄が、肩甲骨のくぼみにまともに入る。
衝撃に耐えきれず、マロウはバランスを崩し肩から倒れた。
「あんま手荒な真似はしたくないんで、大人しくお縄にかかってくださいっす」
笑樂は、うつ伏せになったマロウに馬乗りになると、彼の両腕を後ろ手に締め上げた。重くないよう腰を浮かせ、痛くならぬよう緩い力で。
マロウは歯噛みした。
この男を倒せるとは微塵も想像していない。だが、せめて逃げる隙を作る程度に弱らせられたら。そう考えていたのだが、それすらも算段が甘かったらしい。
こうなったら捕縛されてからの逃亡方法を考えた方が早いか。
「女性の肌は真綿を扱うように、って聞いたっす!」
笑樂は言いながら、おそるおそるといった体で慎重に丁寧にマロウの手首に縄を回している。
「だから、女性じゃないんだけどなー?なんなら脱ごうか?」
「ぬっ!?お、おんなのこがそういうこと言うもんじゃないっす!!」
(ここまで鈍感だとイライラも呆れも通り越してむしろ可愛く思え……て、たまるか!!普通にこめかみビキビキ案件だわ!!)
などと、次の手を考えるのも投げ、眉間の皺を一本、また一本と増やすばかりのマロウの元に、ここにきてようやく、文字通り一筋の光が差し込んだのだった。
いや、正しくは“差し込んだ”というよりも、
「え?」
「え?」
キラリ。
“煌めいた”と表現すべきか。
ドォン!!
直後の轟音も相まって、まるで付近で何かが爆発したようであった。
「ありがとう、助かったよ」
「Kさん流石?カッコイイ?」
「Kさん流石!超イカす!」
「へっへーん」
事の顛末から言えば、二度目の爆発の犯人はKだった。
「でも良かったの?僕を助けるためとはいえ、爆弾の使用が知れたらクシヤスラ先生がなんて言うか……」
マロウは、『遠足のしおり』こと、クシヤスラの有り難いお言葉を思い出していた。
目的は決定的に異なると言えど、結果的に過激派と同じことをしてしまったのだ。許されていいことではない……ように思う。
「それなら問題なし。使ったのこれだから」
そう言ってKが取り出したのは、俗に言う閃光弾というものだった。
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「あれ?」
細い路地からさらに細い路地に入ったところで、一人分の足音しか聞こえない違和感に気付いた。
当然後ろについて来ているものと、全速力で走っていたのだが。
「まじかよ、マローせんせー」
おいおいとため息をつく。足を止め、来た道をよくよく見回してみてもそこに目的の人物は見当たらない。
単に途中ではぐれただけではないだろう。逃げ切る前にヤツに捕まった。つまりしくじったのだ。そう考えるのが自然だ。
ならば自分も引き返し、すぐに応援に駆け付けるのが定石である。
世辞を抜きにしても、あの男とまともにやり合ってマロウ一人で凌げるとは到底思えない。向こうが勝手に勘違いをしてくれていたからこそ、平和的解決の糸口が見えていたようなものなのだ。
どんなに阿呆でも、背後から殴られた上に、自分を吹っ飛ばし武器を向けた男とフランクに話しているところを目撃して敵と認識しないのが無理というもの。
牙を剥き出したのはこちらが先だ。
「生きてっかなー」
Kはよたよたと元来た道を走り出した。
時は一刻を争うというのに、どういうわけか全力で走ろうという気になれない。
何か引っかかるのだ。自分は本当に、このまま戻ればそれでいいのか?と。
「あ」
Kは突然立ち止まった。
分かった。そりゃそうだ。戻ったところで同じなのだ。結局また二人でアイツを相手にして、逃げなくちゃならない。事態は全く好転していないし、合理さの欠片もない。
今やるべきこと。ようは、ヤツをマロウから遠ざければいいのだ。
そんなわけでKは路地の一角に閃光弾を仕掛けた。
目を潰さんとする眩い光と鼓膜がビリビリに破けそうな爆音はするものの、爆風は発生せず、圧縮された空気が周囲の物を破壊することもない。
Kたちが居た場所は危険区域として、すでに一般人の立ち入りは禁止されている。
用意した閃光弾は、近くにいなければ至って安全な代物と言えた。
そいつを遠隔操作で起爆させれば、まあ簡単。
煌めく閃光に続き、派手な爆発音が空を突き抜けた。
「爆発?!……くっ」
笑樂は一瞬マロウの顔に視線を落としてから、数秒と経たぬ内にその身を翻して駈け出した。向かう先は当然、今しがた音のした方。
どちらを優先すべきかなど、比べるまでもない。
作戦は見事成功。
笑樂の注意を引きつけ、ちょうど入れ違いにマロウの前に姿を見せることができた。
「というわけですよ」
「なるほどねぇ。そっか、良かったよ。これ以上の被害にならなくて」
踏み出した彼の歩は大通りの方ではなく、過激派の連中に爆破され粉々になった瓦礫に向けられていた。
Kはこのまま先へ進むものだと思っていたので、目前の男がどこかしんみりとした空気を纏っていることに首を傾げる。
「今の僕の技術じゃこれを元に戻すことはできない」
「ん?あー、うん?粉々だし。あ、それにトージョウの物だし?」
「そうだね。どっちの意味でもそうだ。今の僕じゃ直せない。
でも、もし仮に直せたとして、それって直す前と同じ物だと言えるのかな?違う素材やパーツで補って、別の人間の手が加えられて。見た目は完璧に同じになっても、それって本当に同じだと言える?」
「なんか突然哲学始めた」
「あ、うん、ごめん。気になっちゃって。
身内の不始末でたくさんのトージョウの人たちを傷つけたのにさ、僕らに出来ることってわずかしかないんだなって。無力感に気を落としてる」
「ここは俺らの領分じゃないでしょ」
「まあ、それを言ったらおしまいなんだけどさ。図々しくお節介焼く気はないよ。
ただ、できるのにやらないのはどうなんだろうって。僕らの国の技術ならいずれ……」
「違うんじゃない」
「え」
Kの言葉に遮られ、マロウは彼を振り向いた。
声の調子は至って普通。硬くもなければ怒気も孕んじゃいない。
「聞いたっしょ?完璧に直してもそれは同じ物か?って。違うんじゃないの?もう別物でしょ」
「……そっか」
答えをもらえればそれで良かったはずなのに。胸の奥がズキリと痛んだ。ああなんだ、自分は肯定してほしかったのだ。自分がしていることにはちゃんと意義がある、と。
「だから何?あんたが目指してるのってそういうことだったの?助けたい、役に立ちたいとかじゃなくて?」
「あ……」
「助けてほしいならそう言ってくるでしょ。まあ、今回の件でこの対応なんだから余計な世話だって突っぱねられるのが関の山だろうけど」
自分としたことが。“直す”ことの本質。そんなことさえ見失っていたとは。自分自身にほとほと呆れ返る。
反省も兼ねて額に手を当て俯いていると、視界の端に……プラスチック片?
「とりあえずここに困ってる人がいるんだけどさ。
俺の考えた『さいきょうの刀』なぜかバッキバキに壊れちゃったんだよね。直して」
マロウは記憶の糸を手繰り寄せた。
笑樂の隙を突くために投げた刀。それが地面に衝突した後の末路を。
「まあ、資材ケチったからね。ぶつかれば壊れるよ」
受け取りながらさらりと答える。
Kは、「えー!道理で!ひっど!」と騒いだが、マロウは気に留めなかった。
次はもう少し、頑丈に直してあげてもいいかもしれない。
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