時折感じる、つま先から頭の天辺までもを干上がらせるような渇きは、もはや飢えと呼べるまでに深刻化していた。
うだるような暑さの昼下がり。彼女のうなじにつたう汗に吸いつきたい衝動に駆られる。
悪夢にうなされて枕を引きずる彼女が俺を頼るなら、その目に溢れた涙は舌で舐め取ってやりたいと疼く。
ただ物を咀嚼して飲み込む。それだけの行為ですら目が離せない時がある。彼女の唾液に溶かされるのはどんな心地だろう。食べ物に心があるはずもないのに、そんな馬鹿らしい妄想にまで思考が飛ぶ。
アウリは、彼女が赤ん坊の時に俺が拾った子だ。
生き抜くためになんでもいいから力が必要だった。たまたま目に入ったのが祓魔師の血を引いた赤ん坊。俺は藁にも縋る思いでその腕に噛み付き、血を啜った。
そうして、今がある。
毎日欠かさずアウリから血を拝借する理由はいくつかある。
一つ、悪魔を討伐すればするほど力をつけることができる祓魔師の特性ゆえ、彼女の力量を確かめるバロメーターとしててっとり早いから。
一つ、今ではその効果はだいぶ薄れたものの、俺の体調がよくなるのは事実だから。
一つ、日々の習慣として定着しているため今さらやめる理由もないから。
そしてもう一つ、本能が渇望するから、だ。
「バカよねぇ。自分で自分を深みに追い込んでいくなんて。渇くから血を吸う。もっと欲しくなる。紛らわすためにここに来る。満たされない。さらに渇く。バカじゃないのぉ?」
煙草を吹かしながら投げやりにベッドに足を投げ出す。
気心の知れた娼婦だ。この女も悪魔だが、俺のように魔王の座を狙うような野心はない。計画上特に障害にはならないと判断し、始末せずビジネスライクな付き合いを続けている。
「うるさいな」
「キレがないのよ、キレが」
「お前相手じゃ勃つモンも勃たねぇんだよ」
「うっわー。百戦錬磨のサキュバスにそれ言うの。どうせあの子相手ならビンビンなんでしょ。いやねぇ、身代わりに抱かれるなんて気分悪い」
言わせておけばこれだ。俺に全主導権を握らせてくれるからこいつを指名してやってるのに、このお喋りだけはどうにも我慢ならない。やはり済ませたらさっさと帰るに限る。
「あいつを汚すな。アンタみたいな下品な女とは違う。」
釘を刺したつもりだった。しかしそれが仇となる。
「ヘンなの」
「何が?」
「だってそうでしょ?あの子はアンタの道具に過ぎないのに。汚すな?アタシとは違う?笑っちゃう。まるで大事な大事な宝物ね。娘にたーっぷりの愛情を注ぐ父親気取り?」
一呼吸おいたその口がスローモーションで動く。
「ねえ、そうしてるとアナタって、まさに立派な人間様よ。」
何と言って出て行ったのか記憶にない。気付けばアウリが待つアパートの一室をぼんやりと見上げていた。
利己的であることは悪魔の本質である。
そんなことはない、と一部の愚かな聖人君子は謳うが、俺はもっともだと思っている。何よりも大切なのは自分。己が利益のためならば他者の犠牲は付き物だ。そんなのにいちいち胸を痛めてはいられない。
あんな言葉一つで、なぜこんなにも心をかき乱されなければならないのか。原因が思い当たるから余計に腹が立つ。
図星だからだ。
アウリに対する俺の態度は、実に人間的で、最高に悪魔らしくない。よりによって自分以外の者の心を守ろうと傷つけまいとして、己に無理を強いている。
「本能に任せて食べちゃえばいいのよ」
そう、言い捨てられたような気もする。
指を絡め、舌を絡め、乱暴に組み敷いて、蹂躙して、貪り尽せばいい。
そんなの簡単だ。怯えたとしても拒絶しない。そう行動するように育ててきたのだから。他の誰かを信じたとしても、最終的に縋れるのは俺しかいない。そういう環境を造り上げてきた。
アウリももう年頃だ。
色恋事にも興味を抱くようになるのだろうか。目の届く範囲の害虫は潰していっているが、何においても完璧などありえない。抜け穴とは存在するもの。
ならば、その前に、その時が来る前に、誰のものなのか分からせる必要があると思わないか。
アウリは俺のモノだ。好きなように扱うのが自然だろう?
扉を開けたと同時に、腰の辺りに衝撃を受ける。見ずとも分かった。アウリが抱きついてきたのだ。
「どうした?」
優しく頭を撫でてやると、顔を埋めてさらにぎゅっと抱きしめられる。
「こわい夢を見たの。でも、起きるとおとうさんがいないから。ずっと眠れなくて帰りを待ってたの。」
全く、なんていじらしいのだろうか。
小さな頬にそっと触れる。涙でしっとりと濡れていた。
「ごめんな」
指で拭いてやる。体を引き離しながら、それでも近くにいると伝えるために背中を撫で続けた。
「また女の人のところ?」
せっかく拭ってやったのに、彼女の双眸は再び涙で溢れ返る。宝石のような瞳が、差し込む月明かりに乱反射して壮絶な美しさを湛える。
いっそのこと眼球ごとしゃぶり尽くせたら。喉が鳴る。
「ああ。そう言っただろう?何かおかしいか?」
アウリはふるふるとかぶりを振る。
「ちがうの……ごめんなさい。いい子でいるから…アウリ、いい子でいるから……」
か細くなる声は、行かないで、と明確に発せられることはない。父親に迷惑をかけまいとしているのだ。
ああ、分かっている。お前は“そういう子”だ。
流れ落ちる雫をこらえようと固く閉じられたまぶたに、唇でつと触れる。涙の味がした。
その感触に驚いたのか、細い肩がピクリと跳ねる。
なんて甘い。彼女のこんなわずかな反応までもが、甘味にさらに蜜をかけたように甘さを深める。
飢えが満たされていくようだ。
ずっと、ずっと求めていた。この味を。
祓魔師の体液は悪魔にとって毒である。
その所以たる理由は一つ。麻薬に等しいからだ。一口でも含めば引き返せなくなる。
赤ん坊の血に縋ったあの日から、俺は堕ちる宿命だったのだろう。
始まりがどん底だったのだ。今さら何が恐いものか。
「安心しな。今夜はずっと離さない。」
囁いて、濡れた頬をねぶった。涙の跡をなぞるように舌を這わせ、小さく開いた口の上で止まる。
強張った身体でさえ、あんまり気の毒で、愛しい。
俺と出会わなければよかったのにな。
そうすれば、もっとまっとうな、陽の当たる道を歩けたかもしれない。
かわいいアウリ、かわいそうなアウリ。
後ろ手で扉を閉めた。これから晒すこの子の姿は月にだってくれてやらない。
あどけない清廉な身体を、音もなく床に倒す。
手首を取って、指と指とを絡ませて、そして、
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