鳴常磐に通い出してから4回目の夏。
クラスメイトの大半は中等部からの持ち上がりのため、寮生活から解放される虚無感のやり過ごし方には手慣れている。
いや、もはやそんな虚無感など感じない者も少なくないだろう。
しかし、九華は違った。
元来世辞にも器用な性格とは言い難いためか、他人より何歩か遅れを取らないと同じことが出来ない。
中学生時代を丸々この鳴常磐で過ごしてきたのに、高等部に上がってリセットされてしまったのか。
胸にすかすかと風穴が開いたのを感じる。
「楽しみにしてたのになぁ」
この3年とちょっとで友達はたくさんできた。
九華は人見知りはしないし、どちらかというと人懐こくて厚かましい。
だから声をかけるなど容易なことなのだ。その持ち前の、いい意味での図々しさで、テスト前に自ら家庭教師を志願してくれる友人も持った。
夏休みに遊ぶ約束だってしたし、九華自身もそれを心から待ち遠しく思っている。
だがそれでも、すかすかするものはするのだ。
「夏はこれからなんだぞー!センチメンタルには早過ぎるぞー!」
両手を空に突き出して、うおーっと気合を入れてみる。
いくらかスッキリしたような…しないような。
自分でもその判断がつかず、今度はうーんと首をひねってうなる。
「叫んでダメならどうすればいいのか…うううぅぅぅんううぐぐぐ…ぐぐぐががが、あーあーあー、ああああ…あー!!」
しばらく一人で、まるで頭の弱いカラスのようにあれやこれやと声を出していた九華。
そして突然、なにか思い立ったのか、晴れやかな笑顔を顔いっぱいに浮かべて飛び上がる。
「そうだよ!体を動かせばいいんじゃない!私ってば、冴えてるな~!」
『叫んでダメなら体を動かして気分転換』
たったそれだけのことだというのに、さも名案だとばかりに自画自賛を送る。
この少女、都内でも有数の進学校に通っていながら、どうやらなかなかにおめでたい脳みそを持っているらしい。
九華は、「思い立ったが吉日!」と、これまた大声で宣言すると、右足を軸にくるりと方向転換をした。
普段なら携帯している愛刀の薙刀を、この時たまたま教室に置き忘れてしまったのだ。
「ふふっ」
(笑い声?)
走り出そうとした九華の足が、それを耳にしてピタリと止まった。
笑い声。確かにそうだった。
小さな声だったが、この場にいたのが自分一人だったためか、九華はそれを敏感に察知できた。
声がしたと思しき方向に首をめぐらす。
「えっと…だれ?」
そこにいたのは白い人。
正確に言うならば、もちろん全身が真っ白なわけではない。
しかし九華の印象は『白』だった。
どこか儚げで、今にも違う色に染められてしまいそうな、弱々しく笑う人だと思った。
背はあるが、線は非常に細い。
長い髪を肩口で結わえ、右目には片眼鏡をかけている。
制服を着ているから年頃は九華とさほど変わらないようだ。
「ああ、すみません。実は先ほどから君の様子を見ていたのですが、面白くて、つい」
「え、あ…うわああ!!恥ずかしい!」
目前の少年はいまだクスクスと笑いをかみ殺している。
九華はそのせいで、さらに顔面を耳まで真っ赤に染め上げた。
「そんなに笑わないでよ!」
「ぷっ…す、みません…あはは」
九華が必要以上に赤くなるのがおかしかったのか、少年は笑うのをやめるどころか、先ほどより一層おかしそうに腹を抱えている。
「もうっ!君、変な奴だと思ったんでしょう?よく言われるもの。『九華は独り言がうるさい』って!」
そんな態度を取られて、九華は当然良い気分じゃない。頬を膨らませ、ぶすっと拗ねた。
「…ん、そうですね。言われてみれば確かに『変』ですね。」
「…なっ!そんなあっさり言わないでよ!」
初対面のこの少年に、自分の長所ならまだしも『変』などという認めたくもないことを肯定される。
じっとその表情を窺ったが、冗談をついている風でもない。
つまり本心で九華のことを『変』だと認識したのだ。
たいていの場合、自虐的な発言を振るのは、相手に否定してほしい時。
初対面同士でもそれを暗黙の了解で行うものだ。いや、お互いの性質を知らない初対面同士では尚の事だろう。
それをいともあっさりと打ち砕くこの少年。九華を『変』だと評したように、彼もまた九華相応に、もしくはそれ以上に変わった人間と言えるのかもしれない。
「でも『うるさい』とは思えませんでしたけど?むしろもっと聞いていたいと思いました。」
そう言って少年はにこにこと微笑んだ。
九華はぱちくりとまばたきをすると、「へ?」と素っ頓狂な声を上げる。
その反応を見て、少年はさらに笑みを濃くした。
が、九華の次の発言は予測できなかったようで、直後わずかに目を見開いた。
「そんなの初めて言われた!
でね、私それで気付いたんだけど、君も『変』なんじゃないの?じゃなきゃそんなこと言わないよ!
でしょ?どうだ!正解だろう!!」
九華は言い切ると、ビシッと人差し指を少年に付きつけた。
(僕のことを『変』だと一方的に評価するならまだしも…)
(まさか、答えを求めてくるとは…)
少年、絢は苦笑すると、内心でこれは想像以上に楽しめそうだとほくそ笑む。
「たぶん、正解ですよ。僕もよく言われるんです。『変わってる』って。」
絢の答えを聞いて、九華は眉間に寄った皺をぱっと引き伸ばす。険しい表情は瞬時に自信に満ち溢れた笑みに変わった。
「そっかー!じゃあ、私たち似た者同士だね!あ、そうだ!君、名前は?私は風間九華!」
よろしく!と、九華は握手を求める。
(ああ、知ってるよ。)
もちろん声には出さない。表情にも出さない。
絢は穏やかに微笑むと、差し出された手を握り返した。
「僕は蓮雲絢。よろしく。」