彼とはそこで別れてしまったけれど、九華にとってはそれだけのコンタクトでしっかりと『友達』としてインプットされていた。
だから当然『次』があるものと思っている。
今度会った時はなにを話そう、とか、友人たちと計画している旅行に彼も誘おうか、とか。
それから、好きなものとか趣味とか家族のこととか…を、聞くのではなく伝えたいと思った。
不思議とあの少年には、他の人には晒せない自分の深いところを預けたいと思わせた。
九華はその原因がどこから来るのか分からなかった。しかし、しいて理由づけるならこれ、というものは抱いている。
『運命』
まるでメロドラマが好むような浮ついた戯言だが、九華は予感していた。
彼の存在が自分の中で次第に大きく成長していくであろうこと。
それは生まれながらにして彼女に叩き込まれた『執事』としての本能だったのかもしれない。
「ヒワマリ、ですか…」
「うん。」
二度目に彼、蓮雲絢と出会ったのは全くの偶然であった。
駅構内で絢の後ろ姿を目ざとく見つけ、人目も気にせずその背中に彼の名前をぶつける。
絢の肩はビクッと震え、照れたような困ったような笑顔が九華に向けられた。
九華はにかっと笑って、半ば強引に絢を喫茶店まで引っ張って行った。
話は絶えなかった。まあ、その要因は100%九華にあったのだが。
九華はさまざまなことを絢に伝えた。
勉強は出来ないが鳴常磐に通っていること、でも薙刀なら誰にも負けない自信があること。それから、家族のことも。
しかし、自分たちが執事一家であることは伏せた。だからもちろん双子の姉の話はしても、彼女が乱獅子家の令嬢に仕えていることは話していない。
「六華にね、言われたの。『九華は太陽の華ね』って」
その段になって、九華は突然、絢に「ヒマワリを見に行こう」と持ちかけたのだ。
この数時間で、九華は絢のことをまるで幼い頃からの知り合いのように親しみ深く感じていた。
彼が学生ながら実業家であること、純粋に驚き、尊敬し、応援したいと思った。また同時に、彼のクラスが花組だと聞いて納得する。
やはり鳴常磐は違う。鳴常磐の中でも花組はまた別格だ。
それから、彼はこうも言った。人と関わるのは好きだが、消極的な性格のせいで友人が少ないのだ、と。だから君が話しかけてくれて嬉しい、と。
九華はストレートに好意的な思いをぶつけられて、こそばゆい気持ちになった。
好きか嫌いかと聞かれれば、自分は確実に好きだろう、彼のことが。
側に居たいと思う。もっと近しい関係になりたいと思う。
だから、あんな誘いをしたのだろう。「ヒマワリを見に行こう」なんて。
『向日葵』…九華の中では禁句も同然だ。
双子の姉のことを思い出して自虐に走る最たるもの。
それを、見に行く。
絢はしばらく顔を伏せて思案していたが、やがてすっと九華の目を見据えた。
九華は真摯に受け止める。不思議と穏やかな心境だった。彼の考えなど読めるはずがないのに、断られるとは思えなかった。
漠然とした確信。絢は『行く』と答えてくれる。そう思えてならなかった。
「ええ、いいですね。行きましょう。今の時期ならきっと綺麗に咲いていますよ。」
運命とは実在するのだ。これがその証。
この人の顔をよく見ておこうと思った。
だって、自分のすべてを覆う人。運命を共にする人なのだから。
「あの…僕の顔に何かついてますか?」
絢は九華にじっと見つめられて、困ったように眉根を寄せた。
九華は朗らかに笑って答える。それでも視線は逸らさずに。
「いいえ、ただ脳によく刷り込んでおこうと思って。私はさっき言った通り他の人より頭が悪いんです。」
急にがらりと変わった丁寧な口調に、絢は疑問符を浮かべる。
「九華さん?」
「はい。なんでしょう、主?」
「『主』なんて、やめてください。」
「なんでですか?」
「なんでって…聞きたいのはこちらです。さっきまでは敬語を使わなかったじゃないですか。どうして急に」
「ん…敬語ってその名の通り、『敬う語』って書くじゃないですか。だからです。」
「つまり僕を敬っているのですか?」
「はい。」
「今まではそうではなかった、ということですよね?それで、あの会話でどうしてそうなるんですか?」
「今までは…だって、同じ学年だし…友達だし…敬語使う方が変です。でも今は主は主です。私の主です。」
「…そこ、ですよ。僕は君の主になった覚えはないのですが」
「そうですね。言ってないですもん。」
「それなら僕が主と呼ばれるのはおかしくないですか?もし仮に僕が君の主だとしましょう。それなら君はなんですか?従者なんでしょうか?」
「はい!私は主に仕える執事です!」
以上の会話の末、九華は結局、絢に申し出を突っぱねられた。
彼の言い分は断固として「主と呼ぶことは許さない」というものだった。
くそう、意外と頑固だな、と九華は苦々しげに下唇を噛む。
顔に出やすい九華の表情を見てとって、絢はため息の後弱々しく微笑んだ。
「急にそんな風に恐縮されても僕だって戸惑うんです。分かってくれませんか?」
「………分かりました。」
「九華さん?」
「…………分かった!」
「ありがとうございます。」
下手に出られては頷くほかない。
九華は渋々絢の気持ちを是として受け入れることにした。
「でも、実はすごく楽しみなんです。」
「なにが?」
「向日葵」
「本当?」
「ええ。初めてかもしれません。友達とこうやって花を見に出かけるなんて。きっと君が思う以上に僕は楽しみにしてますよ。」
「それは、すごく楽しみにしてることになるよ?相当だよ、相当。かなりだよ!」
「ええ、『相当』『かなり』楽しみにしてます。」
九華はキラキラと紫色の目を輝かせる。
そうだ、彼に『主』と呼ぶことを認めてもらえないのならば、認めさせればいいのだ。
こうやって彼の喜ぶことをして、自分が一人前の執事として役に立てることを証明する。
なんていいアイデアだろう!
「ねえ主、私もすっごく楽しみになってきたよ!」
「九華さん!だから『主』と呼ぶのは…」
「えへへ、いいじゃない。だって嬉しいんだもん。」