お姉ちゃんは聖トルビオン学院に進むらしい。
私たち家族はあまり裕福とはいえないのに、なぜそんな金持ち私立に進学できるのか。
それは私たちが特殊な家系であり、それゆえそのための教育を受けてきたからだ。
乱獅子家。
幾度となく聞かされてきた名前。
私にとってそれは、尊いものだった。憧れだった。キラキラ輝いていた。
お屋敷をぐるりと囲う塀は高くて、私には背伸びをしたって見えなかったけれど、
広い庭で鞠をつくお嬢様の声が聞こえてくる気がした。
きっとお姉ちゃんもそうなんだろう。
腕を引いたら私に笑いかけた。お母さんには見せない私だけの笑顔。
同じ気持ちがうれしい。一番近くにいるのは私。
「ねえ、」
「ごめん九華。やづ様が呼んでる」
ああ、また『やづ様』。
『やづ様』とは乱獅子家の次女、乱獅子夜月様のことだ。
お姉ちゃんは直接私に伝えることはなかったけれど、お母さんから聞いた。
「六華が夜月様に選ばれた」と。
表にこそ出てはいないが、お母さんがそんなお姉ちゃんを称え、喜んでいるのは分かった。
だって、私たちはぐれ者執事一家にとって『乱獅子家のお嬢様に選ばれる』ことは最大の誉れだ。
お母さんはお姉ちゃんを誰よりも優秀な執事であるべく厳しく育てた。
草篠家の、本家の者に劣ることのないように。
きっとそのおかげだろうと思ったかもしれない。
でも、私には分かる。私だから分かる。
夜月様はそんな薄っぺらなものでお姉ちゃんを選んだんじゃない。
分かるから、胸がズキズキと痛んだ。
ああ、どうしよう。夜月様にはお姉ちゃんの深いところが分かるんだ。
私と同じくらいに。
…私、以上に?
心臓がドクドクと鳴った。うるさい。うるさいうるさい!!
顔の熱が引く。寒いのに汗が噴き出た。
ハンマーで殴られたように頭がガンガンきしむ。
耐えられなくて頭を抱えて体を丸めた。
いつまで経ったって体の震えは止まらない。
お姉ちゃんは聖トルビオン学院に進学する。
なぜか。小等部にあの人が通っているからだ。
お側でお守りできるように。
いつでも一緒にいられるように。
二人の距離は縮まるのに、お姉ちゃんと私の距離はどんどん遠くなる。
私にとってはまだお姉ちゃんが一番なのに、お姉ちゃんの中には私なんていないみたいだ。
どうして笑わないの?
また昔みたいに腕を引いたら笑ってくれる?
キラキラ眩しかった乱獅子家のお嬢様。それはきっと手の届かないところにいたから眩しかった。
まさかあの高い塀を越えて私たちの家族のもとに現れるとは夢にも思わなかった。
夢なら良かった。
お姉ちゃんが夜月様の話をするたびに、私は夜月様の人柄に好感を抱いた。
それと同時に、話の数だけ胸の傷は、頭に鳴り響くハンマーの音は増えていって。
夜月様の名前さえ呼べなくなって。
気付けば、怖くてお姉ちゃんの服の袖すら触れなくなっていた。
「私、鳴常磐に通う。六華とは別々だね」
六華は目を丸くして私を見つめた。これがすごく驚いているのだということ、私と、あと少しだけの人しか知らない。
「今…」
なんで六華が驚いたのか、それは私しか知らない。
私が「お姉ちゃん」じゃなくて「六華」って呼んだからだ。
それで気分をよくした私は、なかば自暴自棄に発した直前の発言を実行に変えた。
トルビオンも鳴常磐も寮だから、6年間ほとんど会うこともないだろう。
六華とあの人の絆はよりいっそう深まるだろう。
胸は今もズキンズキンと痛む。むしろ六華と離れることになって、さらに傷口は深くなったかもしれない。
それでも、もう六華からあの人の話を聞かなくていい。
そう思うと、ズキンズキンと鳴る心臓の音がまるで心地良いメトロノームのように聞こえた。