一回戦の後に行われたのは『文化祭』。
シュトラル学園と黒宵学院の間で来場者数を競うものではあったけれど、
“勝ち残り”とか“脱落”とか、誰かの“最悪の事態”を憂う必要はなかった。
僕が提案したファッションショーも大成功だった。
コッコさんとランちゃんのドーナツ屋さんに、アイちゃんたちのカフェに、
黒宵学院の女装コンテストに出場したりもして。
知識だけじゃない初めての経験。
すごく、とても、とても、
「楽しかったですね。」
「うん!!」
プリエさんが笑うから、楽しさ以外に嬉しさも感じたのだ。
「二回戦……」
寝耳に水のような衝撃。
いや、ずっと意識していた。分かっていた。
どんなに洗い流そうとしたって不可能なのだ。事実は変えられない。
朝目覚めれば、そこは作り物の天井、作り物の空。
ここはIshの学園都市。それぞれの願いをかけた戦場。
ずっとこのまま、平和なままで学園生活が送れるはずもないのに。
文化祭の出来事がまるで嘘みたいだ。
「吉宗さん、大丈夫ですか?」
「!!…あ、ああ、うん、大丈夫。油断してたっていうか…びっくりした。」
プリエさんの声でハッと我に返った。
「そうですね…次は何をするんでしょう…」
「…………」
「吉宗さん?」
「…………」
「…あ、あの、吉宗さん?」
「…………へ?あっ!何か言った?」
「……いえ、何も」
「そ?」
まずい。ダメだ。
自覚している以上に余裕がないようだ。
大丈夫か?そんなはずがない。全然大丈夫じゃない。
だって、二回戦だ。それってつまり、『誰かが脱落する』のだ。
自分かもしれないし、親しい誰かかもしれない。
ルーやレンカさんやカジロ先輩…大切な人はたくさんいる。みんな居なくなったら嫌だ。
召喚獣の皆とは確実に会えなくなるんだ。絶対に嫌だ。
誰も脱落しちゃダメだ。
どうか、お願いだから、みんな無事に勝ち残りますように。
『犠牲の上に勝者が存在する。』
きれいごとだって、僕だって分かってる。
その夜は手の震えが止まらなかった。
二回戦の舞台は『二の氷窟』。
各プレイヤーの元に、Φからご丁寧にもカードが届けられた。舞踏会の招待状だ。
今のこんな状況でなければ話は違ったが、ゲームの演出に含まれていると思えば気分は沈むだけ。
白々しいことこの上ない。純粋に楽しめというのが不可能な話だ。
「プリエさんもそう思うっしょ?」
ドレスとかタキシードとか着て着飾ってさ、こんな風に「シャルウィーダンス?」って、
だーれがそんなことするっつーんだっての。
「吉宗さん、もう一度先ほどの言葉聞かせてください。」
「え?『プリエさんもそう思うっしょ?』?」
「いえ、その後…シャルなんとかって」
「は?…あ!『シャルウィーダンス』?」
「そう!それ、どういう意味なんですか?」
プリエさんの瞳はキラキラ輝いていた。
そういえば、二回戦の知らせが届いてからこんなふうに明るい顔を見ていなかった気がする。
あれ……プリエさん、どんな顔をしていた?
毎朝顔を見合せて「いただきます」を言っているはずなのに。
笑っていた?悲しそうだった?心配していた?
全然思い出せないことに愕然とした。
でも一つだけ確かなのは、今目の前にいるプリエさんは笑っていること。
「一緒に踊ってくれませんか?」
僕はプリエさんに右手を差し出した。
「え?」
プリエさんは目を丸くして小さく首を傾げている。
「そういう意味だよ。」
「あ…!なるほど。ふふ、喜んで」
伸ばされたプリエさんの大きな手の平が、僕のそれに重ねられる……寸前でピタリと止まった。
「……とは、なんと言えばいいんでしょう?」
「うーん、それは俺も知らないや。」
プリエさんの左手をぐっと引っ張った。ひんやり冷たい温かな手だ。
「まあ、でも踊ろう!」
僕がそう言えば、プリエさんはクスクス笑った。
無理もない。だってこんな風に踊るの初めてだから。
ステップとか全然知らないし、とにかくクルクル回ってるだけ。
息が合わなくて二人ともちぐはぐで、傍から見たらすごくマヌケに映るんだろう。
その証拠に、寮部屋に戻ってきたルーとタージェさんに呆れた目で見られた…気がする。
「えっと……何してるの?」
「ダンス!!」
「恥ずかしくないんですか?」
「いいえ、楽しいですよ。タージェさんたちもいかがです?」
「え……あ、いや!遠慮するよ!ね?」
「そうですね。夕食の時間も近いです。」
と、まあ、こんな和やかな会話を交わしたのもとんと久しくて、僕は嬉しかった。
「ルーとタージェさん、舞踏会ではダンスするかな?」
「ふふ、そうですね。そうなると素敵。」
「だね!なんなら俺が背中押すし!」
「まあ!それは頼もしいですわ。」
この日は外食することにして、それぞれの主従で少し離れて道を歩いていた。
ルーとタージェさんは始めの頃に比べると、だいぶ打ち解けてきたように思う。
以前は頻繁に救助要請を受けた。それががくんと減って二人で会話出来てるんだから進歩だよな~。
さながら息子を持った親の気分だ。うんうん。
なんて、一人物思いに耽っていたら、プリエさんから思わぬ変化球を食らった。
「吉宗さんはレンカさんと踊らないんですか?」
「え…………?」
レンカさん?まさかここでその名前が出てくると誰が予想しただろうか。
少なくとも僕は、できなかった!!
「えっと、レンカさん?なぜ?」
「?親しいでしょう?あ、私なにかいけないことを……その、喧嘩中ですとか……」
「あ!ああ!うん!大丈夫仲良し!喧嘩とか全くしてないから!こっちこそその、心配させてゴメン!」
「あ……それなら良かった。いいえ、仲良しが一番、ですね。」
僕はあいまいにへらっと笑って返すことしかできなかった。
レンカさんか…と蓋をしていたことに向き合ってみようと思った。
正直なところ、忘れていたわけではない。だが、意識的に忘れようとしていたのは事実。
レンカさんとの交流を通して、薄々感じていたことが鮮明になり始めた。
絵を描くときの真剣な眼差し、それが時折ふっと緩むとまるで小さな女の子みたいで。
普段キリッとしてるのに、たまにすっごくトンチンカンなことするし。
前なんていきなり腐りかけの雑巾持って走って来るから何事かと思ったら、
「ヨシ!見ろ!ここ!この色!こんなグラデーション見たことがない!!」
って、わけ分かんないし、なのに心底嬉しそうで。
「絶対ヨシに見せるんだって言い張って聞かなくてなぁ」
ため息交じりにマコさんが言ったセリフが、忘れられない理由も今なら分かる気がする。
最初は無意識だった。それが気付いたら、まるでファインダー越しにシャッターを切るように。
あ、ここいいな。知らなかった。好きだな。
そう呟きながら、一枚、また一枚と記憶の引き出しにしまっていく癖がついた。
彼女はきっと、僕のことを弟のように感じている。
僕もそうだと思った。姉ができたように感じてはしゃいだ。
でも、きっと、今はそうじゃないんだ。
僕が彼女のドレス姿を見たいと思う気持ちは、彼女と踊れたらいいなと思う気持ちは、
もう姉を慕う弟じゃない。
「レンカさんたちは、会場に来るかな……」
真っ黒な空を仰いでぽつりと零した。
頬に冷たい感触。雪だ。
「来ますよ。」
プリエさんの顔を見た。背後の店の照明が逆光になって、よく見えなかった。
たとえ、彼女たちが辿り着いたとして、僕たちにもそれが可能なのか?
途中で誰かの襲撃に遭うかもしれない。道に迷って凍え死ぬかもしれない。
「下手な期待はしたくないんだ。」
レンカさんと踊れたら、それはとても嬉しい。すごく楽しいだろう。
でも、もしかしたら……と、警鐘が鳴る。
『もしかしたら、お前は死ぬかもしれないんだぞ。』
「“でも”とか“もしかしたら”とか、悪いことを想定しておくのは予防線になりますよね。」
「……プリエさん?」
「だから私は、それを否定しません。ですが、大切なのは今何ができるかです。
過去は変えられませんが、未来は今のその先ですから。」
プリエさんは立ち止まって、俺の両手をその大きな手の平で包み込んだ。
「吉宗さん、今何ができるか考えましょう。」
「プリエさん……」
彼女の顔が近くなったから、今度はその表情を見ることができた。
真剣な顔。本物なんだ。彼女は心から今の言葉を選んで紡いだ。
「うん。」
「ふふ、まずはそうですね。手袋を編みましょう。その冷たい手ではすぐに霜焼けになってしまいます。」
「あ……はは、そうだね!気付かなかった!」
プリエさんの左手と僕の右手は繋いだままで、再び雪の降る道を歩き出した。
「それからマフラーに帽子も。あとセーターに上着も。下着も毛糸なら暖かいでしょうね。」
「そんなに毛糸だらけじゃ全身モコモコだよ!」
「あら!ふふ、それは素敵ですね!是非そうしましょう!」
プリエさんは土で出来てるって聞いた。
僕は仮想世界でのそれしか知らない。冷たくて湿っているそれしか。
でもきっと本物は、凍えたものも溶かすくらいに暖かいんだろう。
そう、こんなふうに。