夜風に当たろうにも、ここは氷窟の中。
風なんて吹いてないし、ただ寒いばかりで気が晴れることはない。
それでもできるだけ人の少ない避難場所を見つけて、逃げるように座り込んでいた。
「ヨシ、隣いいか?」
「マコさん……できたら誰とも話したくないッス」
顔を上げたそこにいたのはマコさん。
たぶん、きっと、この学園都市の中で誰よりもレンカさんのことを知ってる人。
「隣、邪魔するからな」
「人の話聞いてました?」
制止もさらっと無視して、僕の隣に悪びれもなく腰掛ける。
「ヨシは強いと思うよ。」
「いきなりなんスか、それ」
マコさんは足を組み直した。居住まいを正したのだろうか。
「すぐ泣く癖に今は泣いてないだろ?強いよ」
「……さっきまでボロボロ泣いてました。泣きやんだだけッス。」
「あ、そうなの?わりぃ。うわ、目ぇ真っ赤じゃん」
「……強くないんで。すぐ泣く弱虫なんで。」
「いや…そういうことを言いてぇんじゃなくて……」
マコさんはガシガシと頭を掻いた。
言葉にしなくても分かってる。マコさんが心配して来てくれたことぐらい。
「泣きやんだならつえーし、別に泣いててもつえーんだよ。」
「何を言いたいのかちょっと……」
「あーだからさ、泣け!!」
「は?」
いきなり何を言い出すんだこの人は。気遣いは嬉しいけど、突拍子もなさ過ぎて訳が分からない。
マコさんは立ち上がると、僕の肩をぐっと掴んだ。
「あたしが来たから泣くのやめたんだろ?お前はどうしてそう、他人他人なんだよ。
だから、自分のために泣け!!自分を思いっきり甘やかしてやれよ。」
僕はぽかんと口を開けたまま、何も言い返せず、かといって身動きも取れず、静かに涙を流した。
マコさんは気が利く人だ。
面倒見がいいし、周りをよく見ている。人の気持ちにも敏感だ。
つい最近自覚した僕の気持ちも察知していたようだし、
未だ無自覚のレンカさんの想いも知っているだろう。
それに加えて、一連の事の成り行きを見届けているときた。
つまり、今の僕の心情を察することができるとすれば、マコさんだけなのだ。
マコさんに背中を撫でてもらいながら、僕はひとしきり泣いた。
自分でもびっくりするくらい、泣いても泣いても後から後から涙はとめどなく溢れた。
レンカさんのことだけじゃなくて、今後の不安とか自分の存在に対するやるせなさとか、
マコさんの与り知らぬことまで。
きっと、流してしまいたかったんだろう。変えられるはずもないと分かっていて、それでも。
胸のモヤモヤを解消できたかと聞かれれば、頷くことはできない。
でも、
「落ち着いたか?」
マコさんのこの問いには、黙って首を縦に曲げた。
「俺って無理してんの顔に出やすいんスかね?」
「あー……そうだな。」
唐突な問いかけにも、マコさんは何も聞かずに答えてくれた。
ただ、答えが予測できても肯定されるとやっぱりちょっと堪える。
「自分では完璧に演技出来てると思ってたんスけどね。」
一呼吸置いて、続けた。
「リサちゃんにも同じこと言われました。」
「リサ?クラリッサ?」
「そッス」
「いつ?」
「えっと…ここに来る前」
「マジで?」
「ここで嘘ついてどーすんですか。」
「フラれたも同然だろ。それでよく……」
マコさんがしまったとでも言いたげに、ハッとこちらを見た。
「俺も分かってるんで今更いいッスよ。」
レンカさんを送り出した後、深呼吸を二回…いや三回して、気分を切り替えた。
振り向くとそこにいたはずのマコさんがいない。気になったものの用事もないし探すことはしなかった。
ならばと、レンカさんが向かったその先をざっと見渡して、目的の人物を見つける。
さて、もう一仕事だ。
「リーサーちゃん!」
「……何かご用でしょうか。」
リサちゃんは飲食コーナーで取り皿にクラッカーを載せているところだった。
大方、それを自分のマスターに届けるつもりなのだろう。
皿を一旦テーブルに置いてもらい、僕は仰々しくお辞儀をして、一言。
「一曲踊っていただけませんか?」
「なぜ?」
即座に切り返される。
んー、やっぱそう来るか。
「れっくん先輩のために!ね、お願い!」
「マスターの為……?」
そう言うと、リサちゃんが今までになく大きな反応を見せた。
(あれ?なんだろうこの違和感。リサちゃんってこんな雰囲気だったっけ?)
その時は普段と違う格好や環境のせいだろうと考えた。
でも、ひょっとするとあの時リサちゃんに人間らしさを感じたからなのかもしれない。
「踊ることがマスターの力になるのですね?」
「そういうこと!」
「分かりました。」
そう返事をするなり、リサちゃんは僕の手をぎゅっと掴んでつかつかとホールを進んだ。
完全に事務的な動きだ。らしいとは言え、苦笑せずにはいられなかった。
後から知った、というか、その後会話をしたマコさんに聞かせてもらったのだが、
リサちゃんは手を握ると相手の健康状態が分かるらしい。
その延長でのその発言なのかもな、とマコさんに小突かれた。
「この行為がどう作用してマスターの力になるのか判別できませんが、」
曲も半ばの頃、リサちゃんが突然話し出した。
今まで僕がどんなに話しかけても一言で撃破されていたので面食らう。
「貴方がしたかったことは推測可能です。しかし理由が分かりません。」
胸がざわついた。閉じた蓋をこじ開けられる……そんな胸騒ぎだ。
嫌だ。やめてくれ。触るな。
「なぜ、貴方がマスターとレンカを二人きりにするのです。」
足が止まる。ワンステップ遅れてリサちゃんも立ち止まった。
無意識の内にリサちゃんの手首を強く握っていた。
彼女が痛みを訴えないから、しばらくずっとそのままだった。
言い訳が見つからない。沈黙が余計に惨めだ。
「……理由はないということですか?」
追い打ちをかけるように降りかかるリサちゃんの無機質な声。
分かっているのに。彼女は人に造られたアンドロイドだからこんな声なのだと。
それでも、責め立てるような冷たい声だと感じる自分がいる。
「そう……」
息を吸って、吐いた。
「そうだよ!理由なんてないって!!なんとなくだって!ノリってやつだよノリ~♪」
最後にサーフィンをするジェスチャーを加えて、おどけてみせる。
我ながら痛々しい。だけど引っ込みがつかなかった。
それからは必死になってテンションを上げた。
リサちゃんに変なポーズをさせたし覚えさせたし……。
(事実が知れたられっくん先輩にどやされるんだろうな。)
だけどリサちゃんは文句一つ言わなかった。
その理由はリサちゃんの感情が発育途上だからなのか、彼女の気遣いからなのか、それは分からない。
ただ、別れ際に、
「貴方もマスターと同じ。笑っているのに苦しそうです。」
と告げて、手を離した。
マコさんは最後まで黙って僕の話を聞いてくれた。
途中何度か何か言いたいのをぐっと堪えていたようだけど。
「つまり、ヨシお前レンカの背中を押すだけじゃ足りず、リサを連れ出して二人きりにしたわけか?ああ?」
普段はさっぱり笑っていることが多いマコさんの目が、据わっている。
明らかに怒っている。ここで受け答えに失敗したら、殺られる……鉄拳一発じゃ済まないだろう。
「け、結果的にはそうなるけど、仕方ないっていうか……殴るのだけはやめて!!」
「吉宗ぇ!!!」
「はいい!!」
怒鳴られて、咄嗟に頭を庇う。
「殴らねーし。あたしは心配してんだよ。」
マコさんの声色が急に穏やかになる。
隣に腰掛ける気配と、ぽすんと頭に感じる心地よい重み。マコさんの手だ。
「なんか、自分のことどーでもよくなって。」
「うん」
「レンカさんが幸せならそれでいいやって」
「うん」
「何が苦しいのか分かんなくなって、麻痺したみたいで、今ならなんでもできるって」
「うん」
「なのにリサちゃんに図星刺されて、どうしたらいいのか分かんなくなった。」
「うん」
「リサちゃんのこと恨んでないしむしろ感謝してる。俺あのままじゃ何してたか分かんない」
「そうだな、良かったな。あたしも良かったって思う。」
マコさんの相槌が気持ちを落ち着かせた。すらすらとよどみなく吐露できる。
マコさんは僕と似ている。
「マコさんはレンカさんに幸せになってほしいでしょう?」
「ああ」
僕も同じだ。だから似てる。
「俺には無理だって思う?」
「……わかんねえや」
でも少し違う。
レンカさんの幸せの中にマコさんの存在は欠かせない。
あの人も……れっくん先輩も同じこと。
そして僕はその中に入ってない。
卑屈になってるのかもな。
だけど今じゃなくても同じことを考えるんじゃないか、とも思う。
僕はレンカさんを幸せに出来ないけど、マコさんは出来る。
だから、
「だから、マコさんはレンカさんを幸せにしてよ。」
笑ったって無理してるってすぐバレるんだから、僕は泣きそうな顔でそう言った。
「ん」
マコさんは短い返事の後、僕の髪の毛をむちゃくちゃに掻き回した。
「うわー!!やめてくださいって!折角セットしたのに!!」
「なに女々しいこと言ってんだ!…………じゃあ、」
今度はぐっと頭を掴まれる。
「ヨシは、ラプリエを幸せにしろよ?」
そうだ、と不思議なことに、その時になってやっとゲームのことを思い出したのだ。
今まですっかり忘れていた。自分の命は風前の灯火で、吹けば簡単に消えてしまうことを。
「俺が死んでもプリエさんは幸せになれるかな……」
「ヨシ、さっきあたしに言ったよな?人の話聞いてたかって」
「ふぐ」
両手で顔を挟まれた。返事も言えない状態だ。
「その言葉そのまま返す。あたしは、お前が、ヨシが、ラプリエを幸せにしろっつったんだよ!!」
ボールをチェストパスする要領で頭を後方に吹っ飛ばされた。
転倒する寸前でなんとか持ちこたえたが、「よーく耳掃除しとけ!」と容赦なく追撃される。
「それはヨシが生きる理由だし、お前にしか幸せにできない誰かがいるってことだ。
だから、その人のために生きろ!!!」
ぼんやりとかすむ視界の向こうで、マコさんの大きな声が響く。
ああ、そっか。
マコさんの言いたいことが、やっと分かった。
レンカさんのことは忘れて、お前はお前の人生を生きろって言ってくれてるんだ。
レンカさんのためじゃなくてプリエさんのために生きろ。
だからレンカさんにはこれ以上関わるなって。
無理だよ。
だって俺まだレンカさんのこと大好きだもん。
忘れるなんて、無理だよ。
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