夕飯の買い物を終え、スーはソノラの街の広場を横切っていた。両手には食材のいっぱい詰まった紙袋を抱えて。
前方の視界もろくに確保できない状態に、(少し買いすぎちゃったかしら)と先ほどまでの自分の行いに苦笑いが漏れる。
買い物をする店の店主のほとんどと、スーは知り合いだ。「今日はこれがオススメだよ」とか「買ってくれたらオマケしてあげるよ」などど言われると、ついつい財布の紐が緩むばかりで。
それらを運んで帰るまでに苦労するのは自分だというのに、店主たちの巧みな話術は、臨戦態勢で臨むスーの意気込みでさえあっさりと打ち破ってしまう。
(特にデグのおじ様のあの『可愛い若奥様には特別サービス』は反則だと思うわ…)
スーは自分の甘さにはあと息を吐く。
その時ちょうど、きめ細かな装飾の施された綺麗なドレスを身にまとった貴婦人とすれ違った。何か特別なパーティがあるわけではなく、彼女にはあれが普段着なのだ。
対して自分はというと、この紙袋。
今はもう落ちぶれた家柄とはいえ、曲がりなりにも自分は『貴族の娘』である。
そんな人間が、同じく貴族に囲まれたこの街で紙袋を抱えてよたよたと歩を進めている。それがどうにも恥ずかしいことに思えてきて、スーは足の回転を速めた。なるべく早く人目のつかないところへ、とそう急いて。
「きゃっ」
その焦りが災いしてか、スーは歩道にあるわずかな段差に気付かず躓いてしまった。
体は前のめりに倒れ込むのに、あいにく両手は紙袋を掴むのに精いっぱいで地面との衝突を和らげる手段がない。
スーは咄嗟にぎゅっと目を瞑った。
(…え?)
しかし、覚悟した皮膚の擦れる痛みは一向にやってくる気配はなく。自分の感覚が麻痺したわけでもないようで。
その代わり、自分を取り囲むもう一つの気配の存在に気付いた。
まぶたを開き、顔を上げると、そこには毎日あきれるくらい顔を合わせている、その人。
「ロイド…」
「まったく、どうしてそうそそっかしいかな。俺を心配のしすぎて倒れさせたいの?」
「なっ、そういうつもりじゃ…!」
目の前にいるこの男の人が自分を助けてくれたのは明らかなのに、開口一番軽口を言われては素直に謝辞も言えない。
スーはついいつもの癖で喧嘩腰になってしまう自分の語気に、いけないと叱咤しつつ、けれど引っ込みがつかず。
眉間にしわを寄せたまま、顔だけふいと彼から逸らした。
「それ貸して。持つから。」
「あっ」
返事をする前に、ひょいとパンパンに膨らんだ紙袋を奪われてしまう。腕にかかっていた重さが突如なくなり、違和感に数秒ほど呆けた。
(この人が持つとそれほど大きく見えないのに)
なんて、今まで自分が踊らされていた紙袋を見やる。それはロイドの片腕にすっぽり収まる程度だ。
さらに続けて、騎士の制服とその買い物袋の不釣り合いなこと、と思わず噴き出してしまう。
「なに?」
眉尻を上げたロイドに問われて、スーはようやっと我に返る。
「あ、の、さっきはありがとう。受け止めてくれて。そのまま転ぶところだったわ。」
まずは礼を言わねばと、ロイドの服の裾をちょんと摘まんでそう告げる。
「そうだね。確実に転んでいたよ。壁に激突して壁に穴を開ける程度じゃ済まなかっただろうね。スーって運動神経ないから。」
ロイドはにやりと笑みを浮かべながら楽しげに返す。
(この人が言葉を紡ぐと、どうしてこうも余計な物が2つも3つもくっついてくるのかしら!)
スーは、人がせっかく素直に礼を述べればこれだ、と口をへの字に結ぶ。
しばらく口を利かないことにしようか、などと思案していると、ふと疑問が湧いた。
ぷりぷりと立ち昇る怒りはいったん退けておくことにして、となりにいる彼にその疑問をぶつける。
「ねえ、なんでロイドがここにいるの?訓練は?」
今の時刻は午後1時を過ぎた頃合い。騎士の訓練が終わる時刻にはいささか早すぎる。
本来いるべきではない場所をうろついているこの人物に、「もしや…」と眉をひそめる。
「ああ、言っておくけど…俺の名誉のために断っておくけど、断じてサボタージュなどではないから。」
スーの疑念を先読みして、ロイドは素早く答えてみせた。
スーの目にはそれでもいささかその男の態度が軽薄に見え、心から信じることができない。
「本当?」と、声音でもって詳しい話を要求する。
「本当本当。今日は午前中で訓練は終わりなんだ。隊長殿にご用事があるようで。午後は自由参加。」
ロイドの目を見るからに嘘はついていないようだ。だいたいこの男が人をからかう目的以外で嘘をついたのを聞いたことがない。
まあ、人をからかうためならば嘘をつくのだから、タチが悪いったらないのだが。
スーは、ならば、と非難がましい視線を送る。
「午後も訓練に参加すればよかったじゃない。」
「午前で切り上げるなんて持久力ないわね」と、言葉を続けて。
「『訓練を切り上げてまで私に会いに来てくれたのね、うれしい!』くらい言えないわけ?夫がせっかく、愛しい愛しい妻に貴重な訓練の時間を捧げようとしているのに。」
ロイドのその誰のモノマネなのかわざとらしい裏声に、スーは背筋が冷えていくのを感じる。
もっとムードのある雰囲気だったならば甘く聞こえたであろうそのセリフも、今のこのシチュエーションでは冗談以外に聞こえない。
「お生憎様、そんな清純な心は持ち合わせていないみたい。」
我ながら可愛くない答えだ、と思うが、だとしたらなんと返せばいいのか。
だから結局自分は『守りたくなるような可愛い女の子』にはなれないのだろうな、と『まさに女の子』の幼馴染や友人の顔が浮かんで嘆息する。
案の定、スーはロイドから「可愛くないな」とばっさりと言い捨てられ、それを重々承知しているスーはスーで「可愛くないですよ」と拗ねた。
「ところでさ、スーってこのあと何か予定入ってる?」
ロイドの突然の話題の切り替えに、スーは二度ほどぱちぱちと瞬きした。
「えっと…このあとは家に帰ってちょっと午睡をとってから、3時くらいからティータイムを。ちょうど珍しい茶葉をいただいて。あ、その前にお茶菓子のキッシュを、あり合わせで作ろうとは思っていたけど…」
「ふーん、つまりだれかと約束があるわけじゃない、と?」
「ええ、そうね。」
「午睡ってさ、言い方は優雅だけどつまり昼寝だよね?」
「……悪かったわね…」
「いや、それを隠さず正直に予定に組み込んでるあたりがスーらしい。」と、ロイドは心底おかしそうにクスクスと笑う。
しまいには腹を抱えて笑い出す夫に、蹴りを入れてやろうかとスーは一瞥したが、悪気はないので思うだけで留める。
「どうしてそんなことを聞くの?」と問えば、ロイドはくしゃっと顔を歪ませて笑う。鼻先に散ったそばかすも手伝って、まるでイタズラを思いついた子供のようだ。
「ん、今は内緒。」
ロイドは紙袋を抱いていない空いた手でスーの手を握った。
スーは照れくさそうに、けれど愛おしげに、そのつながった手を見下ろして、自分もきゅっと握り返した。
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「午睡」ってなんだか貴族っぽくないですか?^^
最後はちょっと甘かったですね。
デグのおじ様はただの名前だけのモブです。
騎士って訓練だけじゃなくて見回りもするんですよね…そこはスルーでお願いします…。